今月の一枚

2013年12月 セイキキヤノン / ニッコール50mmF3.5

上部から。操作系は基本的にバルナックライカと同じ。

底部から。鏡胴基部に番号が入ってるが、ヘリコイドの番号か?

底蓋を開けたところ。

レンズをとりはずしたところ。マウントはコンタックスを思い起こさせる独自のバヨネット式。

ニッコール50mmF3.5レンズ。このほか、50mmF4.5、50mmF2.8、50mmF2があったという。

作例1 新装なった大提灯裏 F3.5開放 1/200

作例2 神谷バー F8 1/200

作例3 年末で賑わう仲見世 F8 1/200

作例4 新装になった大提灯 F8 1/200

作例5  駅見世 F8 1/200 ノンコートでも逆光にも比較的強い

作例6 べんがら前 F3.5開放 1/200

解説

我が国最初の本格的な35mm判高級カメラは、1935年(昭和10年)末に登場した、精機光学研究所のハンザ・キヤノンであることは、あまりに有名です。精機光学研究所は1933年(昭和8年)11月、東京市麻布区六本木に設立されました。これが現在世界に冠たるカメラメーカーであるキヤノン株式会社の発祥です。

精機光学研究所は1934年6月にカンノンカメラの発売を広告します。「潜水艦は伊号、飛行機は九十二式、カメラはKWANON、皆世界一」という大胆な広告文面でした。実際にはカンノンカメラは日の目を見ることがなく試作で終わり、ファインダー、距離計、撮影レンズ、ピント調整機構などを日本光学工業株式会社が造ることで、ついに完成したカメラが、キヤノン標準型でした。発売開始は1936年2月のことです。この我が国初のレンズ交換可能なフォーカルプーンシャッター式カメラは、販売を近江屋写真用品株式会社が行ったので、その商標である「ハンザ」を前につけてハンザキヤノンと呼ばれることが一般的ですし、カメラの上カバーにもHANZA CANONと刻印されています。ハンザキヤノンは我が国カメラ産業の発展を語る上で描かすことのできないカメラであり、カメラコレクターの垂涎のカメラとして昔から中古カメラ史上ではきわめて高価な一台でもあります。

ハンザキヤノンは当時極めて高価なカメラでしたが生産は順調に伸び、1939年4月にはそれまでボディ前面にあったコマ数計を、ライカと同じ巻き上げノブ下に移したキヤノン最新型が登場します。これはハンザの名前が消え、上カバーにはSeiki-Kogaku Canonと刻印されていることから、一般にはセイキキヤノンと呼ばれています。今回ご紹介するカメラが、これです。
セイキキヤノンは、オリジナルのハンザキヤノンの雰囲気を色濃く残しながらも、機械としての安定性や使い勝手を向上させたモデルで、バルナックライカを使っている方ならば、ピント合わせ以外は特に違和感なく使いこなせるカメラです。品質も良く、写真のカメラもすでに製造後70年が過ぎているのに、メッキもぴかぴかで、非常に美麗です。

さらに驚くべきはその写りのすごさで、このニッコール50mmF3.5は日本光学工業株式会社最初の民生用レンズとして知られるものですが、今回の作例でもわかるように、絞り開放から驚異的なシャープさで、まさに「目がつぶれそうな」描写です。まったくもってニッコールレンズの面目躍如たるものです。現在のニッコールレンズはここまでよく写るのでしょうか?

いずれにしても現在も一眼レフ市場において、圧倒的シェアを持つキヤノンとニコンの歴史的合作であるこのカメラは、日本のカメラ産業の黎明期におけるマイルストーンとして後世に受け継がれていくべき、記念碑的カメラのひとつです。

なお、弊社ではハンザキヤノンからキヤノン7まで、すべての距離計式キヤノンカメラとレンズの整備が可能で、多数の実績がございます。メンテナンスについては、どうぞ気軽にご相談ください。