弊社では今月30日より、クラシックカメラの3時間無料レンタルというサービスを開始いたしました。これはクラシックカメラを愛好する方を少しずつ増やしていきたいという弊社スタッフの思いからスタートしたものです。詳細は関連ページをご覧ください(現在このサービスは終了いたしました)。
今回ご紹介するニッカⅢBは、その無料レンタルでお使いになっていただくことができるカメラです。35mm判クラックカメラ界の頂点に君臨するカメラとしては多くの方がライカを挙げることでしょうが、クラシックカメラの無料レンタルではライカM3あるいはM2をお使いいただくことができるため、より小型で軽快に使えるバルナックライカ型のカメラとしては、国産の優秀なライカコピー機であるニッカⅢBカメラに登場してもらうことといたしました。
ここで簡単にニッカカメラの歴史を振り返ってみます。ニッカカメラのルーツはニッポンカメラです。国産初のほぼ完全なライカコピー機であるニッポンカメラは、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍の要請により光学精機式会社が開発しました。ニッポンカメラはライカDⅢ型を忠実に再現しようとしたもので、現在では非常に珍しいコレクター垂涎のカメラとなっています。オークションに登場すれば、驚くような値段がつけられています。
光学精機は戦後1947年ニッポンカメラ株式会社となり、その翌年にニッカ(オリジナル)が発売されました。1948年にはニッカⅢ型(Ⅱ型はないそうです)、1951年にはニッカカメラ株式会社と社名を変更してニッカⅢA型、ⅢB型を出します。そして1954年にはⅢS型、3S型、4型と発展していきます。ここまでのニッカカメラは、ベースとなったライカD3とボディサイズが同じため、ライカD3用の様々なアクセサリーがそのまま使用できるという大きな特徴がありました。世界各国で製造様々なライカコピー機のなかでも、ニッカは大変に良くできたカメラということができます。
そして当時のニッカに組み合わされて販売されていたのは、泣く子も黙るニッコールレンズでした。米国人写真家D・D・ダンカンにその性能の優秀性を認められ、一躍世界のトップレンズとして日本の光学技術の優秀性を世界に認めさせたニッコールレンズは、ニッカカメラの対米輸出にも大いに貢献したと言えます。ニッカカメラは1952年頃から米国のシアーズ・ローバック社で「タワー」ブランドで多数販売されました。今里帰りしたタワー名のついたニッカカメラを、クラシックカメラ店の店頭で時々みかけます。
さて、今回取り上げたニッカⅢBは1951年~52年にかけて3~4,000台製造されたと言われています。ライカD3によく似ていますが、ボディ右手側前部にシンクロ接点が2つ飛び出しているので、識別は難しくありません。この突起はカメラを手にしたときに、心地よい?刺激になります。
作例は今回レンタルで使用するニッコールH 50mmF2レンズとの組み合わせで撮影したものです。今から60年も前のカメラとレンズですが、まったくもってよく写ることに感心するばかりです。このような写真が確実に撮影できますので、ぜひ使ってみてその写りを楽しんでいただきたいと思います。
その後ニッカカメラは、1955年に裏蓋が横開きになるニッカ5型が登場、フィルムの装填しやすさでは本家バルナックライカより優れたカメラとなりました。さらに巻き上げがレバー式となったニッカ3F(後期型、1957年)は、使いやすさから2万台ほど生産されたといいます。しかしカメラの低価格乱売合戦がはじまり、さらに35mm判一眼レフカメラの台頭など市場環境の変化により、ニッカカメラの経営は思わしくなくなり、1958年にヤシカに吸収合併されてしまいます。その直後に登場したのがニッカ名の最終機ニッカⅢLでした。このカメラは2,000台ほどしか売れなかったそうで、珍品として扱われています。またヤシカブランドのカメラもあって、1958年に登場したニッカ33の後継機が1959年のヤシカYE、そして最後の35mm判レンズ交換式距離計連動カメラがヤシカYFで1960年まで製造されました。
弊社では、ライカは当然として、ニッカカメラ各型やニッコールレンズの修理をお受けいたしております。詳細については、遠慮なくお問い合わせください。