今月の一枚

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

赤蛇腹は特注品と思われる

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

合焦機構の繰り出し量は約60mm

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

背面の赤窓はフィルム確認用

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

底部には専用のパラメンダーなどの取り付けができる

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

フィルム送りは曲がらずストレートなので平面性が良い

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

F8 1/250

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

F11 1/250

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

F8 1/250

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

F8 1/250

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

F3.5 1/250

2018年5月 マミヤフレックスC2 / セコール105mmF3.5

F8 1/250

 

マミヤ光機株式会社が1990年代前半まで製造を続けていた二眼レフカメラ、マミヤCシリーズはその優れた性能で特に海外で好評を博し広く使われてきました。二眼レフカメラのトップブランドと言えばローライフレックスであることは衆目の一致するところでしょうが、上下全群レンズ交換式に加え蛇腹を活用した強力な接写性能など機能的にはローライフレックスを越えている点が少なくなく、機構的な完成度が高く写しやすくそしてなにより撮影結果が素晴らしいカメラがこのマミヤCシリーズです。

中古カメラとしては長い年月製造販売されてきたので品数が豊富で、特に古いモデルは交換レンズも含めて現在の価格はとても安価です。古くても状態が良ければ今でも十分に実用になるのでお買い得です。今回ご紹介するマミヤフレックスC2はCシリーズの2号機として1958年6月に登場したカメラで、誕生してから還暦60年を迎えていますが、今回の作例写真でお分かりいただけるように撮れる写真にまったく古さはありません。セコール105mmF3.5レンズは、絞り開放から鮮明な描写を誇る名レンズです。本当に素晴らしいカメラとレンズです。

マミヤが最初に発売した二眼レフカメラは、1948年(昭和23年)8月発売のマミヤフレックス・ジュニア(Mamiyaflex Junior)でした。このカメラは機構的には当時世界の二眼レフの頂点に君臨していたローライフレックス(Rolleiflex)の廉価版であるローライコード(Rolleicord)に近いもので、シャッターのセットは巻き上げに連動せず手動で行いレンズは固定されていました。翌1949年7月には、マミヤフレックス・オートマットA型(Automat A)が登場しましたが、このカメラは文字通り完全なオートマット機構を搭載していて、フィルムのリーダーペーパーを巻き取り軸に差し込んでから裏蓋を閉めて巻き上げをしていくと自動的に1コマ目で停止します。さらにセルフコッキング機構も内蔵していて、機能的にはローライフレックスと比べても遜色のない完成度を持った、国産最高峰の二眼レフカメラのひとつでした。

マミヤフレックスは国内の二眼レフブームの拡大と順調な輸出の進展により、1951年5月発売のマミヤフレックスI型、1952年2月のマミヤフレックスII型、そして1954年1月発売のオートマットB型と順調に発展していきました。オートマットシリーズはAII型(1955/10)、BII型(1956/1)、AIII型(1956/11)と続いていき、いよいよレンズ交換式のマミヤフレックスCプロフェッショナルが登場します。

マミヤフレックスCプロフェッショナル(Mamiyaflex C Professional)は、1957年(昭和32年)1月に発売されました。まったくの新設計カメラで、その思想的な背景には創業者にして当時は顧問であった間宮精一氏の考えが強く反映されています。それはプロの要求に応えるには6x6cm判の大サイズが必要なこと、ファインダーが大きく見やすいこと、パララックスが補正されること、近接撮影能力が優れていること、被写体に応じたレンズ交換ができることでした。二眼レフの特性として好ましいとされた点は、撮影時の振動が非常に少なく静かなことと、撮影の瞬間がファインダーで確認できることでした。

ピント合わせ機構はラックピニオン式で、前板部全体を60mm以上も繰り出すことができるため近接撮影能力がたいへんに高くなっています。ピントノブは正面からみてボディの左側面手前下にとりつけられて、撮影時には右手で操作します。反対側には、カメラを下側に向けた時に前半部が勝手に下がることを防ぐためのロック機構があります。またこの繰り出し量を確保するため、蛇腹が採用されました。このためボディ内部の内面反射がきわめて少ないという特徴を持っています。前板部とボディの間には、蛇腹に不用意にふれて痛めることを防ぐためのガード用の腕が何本か渡されています。

レンズユニットはだるま型をした基盤にファインダー用のビューレンズは直接取り付けられています。撮影用レンズは当時国産最高と言われたセイコーシャMXの0番シャッターを介して取り付けられ、この基盤がピアノ線を整形したバネにより上下2カ所で前板部に押さえつけられて固定されるという仕組みになっています。一見するととても簡単な機構に見えますが、実際はガタは皆無で確実に固定される簡潔にして巧妙な方法です。

レンズ交換の際には、フィルムに感光することを防ぐための遮光蓋を閉めるようになっています。遮光蓋を閉めるノブはボディの正面左側面にあり、閉まっているときにはファインダーの中に赤い線状のシグナルがぼんやりと見えて撮影できないことを警告します。遮光蓋は撮影時にボディ下側に格納されますが、表側に貼られたフェルトが格納された際には内面反射を防止するように配慮されており、特に天空からの乱反射を防ぎます。実際、当時のカメラ雑誌のテスト記事でも、マミヤCシリーズのボディの内面反射は非常に少なくきわめてクリアな写真を撮ることができると絶賛されていました。

このC型はまだセルフコッキングにはなっていません。シャッターチャージは巻き上げとは連動していないため、撮影の前にチャージしなければなりませんでした。シャッターボタンは、前板部の左側面にあってカムを介してシャッターユニットのレバーに連動しています。

このC型がローライフレックスより優れているもう一つの特徴は、フィルム送りを直線状にすることでフィルムの平面性の保持に成功しています。その反面ボディは上下方向に伸びることとなり、腰高のスタイルが最終型まで継承されることになりました。フィルム送りはスタートマーク式のセミオートマット式です。C型のフィルムの巻き止め機構はマミヤシックスの機構をそのまま採用したもので、C3型まで巻き止め機構はシャッターとは連動せず巻き上げる前に解除レバーをいちいち操作する必要があります。裏蓋は1枚撮りシート用や、後に登場する裏紙がなく倍の24駒撮影できる220タイプフィルム用の裏蓋に交換可能になっていました。

レンズ交換式二眼レフの初代C型用の交換レンズとして最初に用意されたのは、マミヤセコール8cmF2.8、10.5cmF3.5、13.5cmF4.5の3種類でした。

C型は当初は国内よりも海外、特に米国で大好評となり、好調に輸出が伸びていったそうです。その頃国内の二眼レフブームがピークを迎え、その後急速に35mmカメラに需要がシフトし、国内の二眼レフメーカーの大部分は淘汰されてしまいました。しかしマミヤC型はその後も改良を重ね、市場に確固たる地位を占め続け、最終機マミヤC330 プロフェッショナルS型が1994年1月に発売が終了するまで、37年間も二眼レフの世界的な代表機種であり続けました。それまで外国製カメラの物真似が多かった国産カメラの中で、まさに日本を代表する独創的カメラとして世界に誇れるものでした。

今回ご紹介したC2プロフェッショナルは1958年6月に登場しました。C型からいくつもの改良点があって、C型の底部を平らに改良し三脚に取り付けた際の安定度を高め、ピントノブはボディの両側につくようになりロック機構は廃止されています。特に重要な改良点としては、前板部の両側面にレンズの焦点距離ごとの距離目盛りと繰り出しに応じた露出倍数表示スケールが取り付けられました。ファインダーフードは元々スポーツファインダー機能を持っていましたが、この部分にレンズの焦点距離に応じたフレーム枠が取り付けられるピンが設置されました。マミヤCシリーズが多方面で活躍していた例として、このC2型を警視庁鑑定課専用に改造したマミヤフレックスPF(ポリスフレックス)型が存在したことが知られています。

弊社ではマミヤの二眼レフはすべてのカメラの整備が可能です。どうぞ遠慮なくご相談ください。

★フィルムはフジNS160