写真のヤシカフレックスB型は3月の東日本大震災で津波にさらわれたカメラということで、修理のご依頼をいただいたものです。お父様の遺品とのことで、綺麗になれば良いということでしたが、弊社としてはカメラとして撮影可能な状態とする処置を行いました。その過程の一部と、完成後のカメラで撮影した写真を今回ご紹介いたします。
ご依頼いただいた時のカメラの状態は、写真の通り全体が砂まみれで、また海水で塩漬けとなっていました。最初に脱塩処理を行い、その後カメラを乾かしてから分解し、部品をすべて取り外してから、ボディダイカストの下地処理、再塗装などを行いました。部品は再生可能なものはサビ落としとさび止め処理を行い、シャッターユニットなど使用不能と判断できるものは、同種部品を調達し、分解整備した後に組み込みました。レンズは分解清掃で甦りました。外装革は使用できませんでしたので、同種カメラからの移植となりました。
以上の過程を経て、ヤシカフレックスB型は通常使用が可能となりました。撮影結果を見ていただければおわかりいただけるように、冨岡光学のトリーローザーレンズは、四隅が若干落ちる以外は画面全体に驚くほどシャープです。とても優れたトリプレットレンズであることがわかります。 本機はすでにお客様にご返却いたしましたが、たいそう喜んでいただけたそうです。
ヤシカフレックスB型は、ヤシカフレックスの最初のモデルです。それ以前の昭和28年頃、遠藤写真用品からの依頼でビジョンフレックスを製造したのが、二眼レフカメラを製造し始めたきっかけで、その後独自のブランドでヤシマフレックスを出しましたが、他社の商号との問題ですぐにヤシカフレックスに名前が変わったのでした。会社名が八州光学精機であった時代のカメラです。 ヤシカフレックスB型はヤシマフレックスとほとんど同じで、ダイカストボディに前板部の繰り出し機構を備えた本格的な二眼レフで、シャッターはNKS製、レンズは冨岡光学のトリローザーで、これは3群3枚構成のトリプレットレンズでした。
翌昭和29年には我が国初のセレン光電池式露出計を備えたヤシカフレックスS型を出し、同じ年のヤシカフレックスA型ではダイカストボディ、前板繰り出し式、フィルム送りはセミオートマットという高級なスペックにもかかわらず当時の価格で9.500円という破格の安さで爆発的に売れたそうです。当時その価格帯のカメラはリコーフレックスに代表される、プレスボディにレンズ前玉回転式ピント合わせ、赤窓式フィルム送りでしたから、スペックの違いは大きかったのでした。
ヤシカフレックスはその後も低価格高品質路線で発展を続けます。比較的よく目にするカメラとしてはヤシカフレックスC型(1955)、ヤシカルーキー(1956)、ヤシカマット(1957)、ヤシカマットD型(1958)、ヤシカ44(1958)、ヤシカマットE型(1964,国産唯一の自動露出二眼レフ)、ヤシカマット124(1967)そして1990年代前半まで20年以上も売られていたヤシカマット124G(1971)と続いたのでした。 なお今月の一枚では2006年2月にヤシカフレックス124Gを取り上げています。
弊社ではヤシカフレックスは全機種整備可能ですので、遠慮なくご相談ください。