今月の一枚

2010年1月 アイレスフレックスZ ニッコールQ 75mmF3.5

ピントフードをあげたところ。

ピントルーペ部)。

背面から。

横面の操作部。

魅惑のニッコールQ75mmF3.5レンズ。

作例1 現在高さ264m F11 1/200 フジ160S

作例2市川高層マンション群 F11 1/200 フジ160S

作例3 浅草寺宝蔵門 F11 1/200 フジ160S

作例4 仲見世正月 F11 1/200 フジ160S

作例5 錦糸町駅北口 F11 1/200 フジ160S

 

解説

アイレス写真機製作所は、1950年代二眼レフカメラと35mmレンズシャッターカメラの分野で大きな存在感のあった有名なカメラメーカーでした。アイレスの前身はヤルー光学で、その時代に試作したヤルーフレックス(Yalluflex, 1949)は独特のデザインの35mm判二眼レフカメラとして世界的に有名です。わずか50台ほどしか製造されなかったというヤルーフレックスはクラシックカメラコレクター垂涎のカメラで、数年前にウィーンのヴェストリスト・フォトグラフィカ・オークションに登場した時、約500万円の落札価格がついたことは記憶に新しいところです。

アイレス写真機製作所は1950年(昭和25年)8月に創立され、その翌月に最初のカメラとして6x6cm判二眼レフのアイレスフレックスY型を発表しました。折から日本では二眼レフカメラのブームが始まり、この波にのってアイレスフレックスの販売は好調なすべり出しをみせたそうです。しかし二眼レフの大ブームが到来すると数多くの大小メーカーが乱立して乱売合戦を繰り広げるようになりました。その中でぬきんでた特徴を出すことを考えていたアイレスは、当時世界的な脚光を浴びつつあった日本光学工業のニッコールレンズの採用に成功したのでした。

そもそも日本光学自身、戦争後に民生用カメラへの参入を決意した際、当時大ブームになりかけていた6x6cm判二眼レフカメラの開発を検討しましたが、製造上の問題が多く断念したという経緯があったということです。日本光学は天下のニッコールレンズをアイレスに供給するに当たり、ボディ側の精度や品質を日本光学の自社基準に合致することを求め、これがアイレス写真機製作所の技術力を大幅に向上させることにつながっていったそうです。アイレスフレックスの4作目アイレスフレックスZのシリーズ最上位機種に、ニッコールQ75mmF3.5レンズが装着されて登場したのは1951年(昭和26年)9月のことでした。

このカメラの全体の印象や操作系は、世界の6x6cm判二眼レフカメラの頂点に君臨したフランケ&ハイデッケ社のローライコードによく似たもので、同時代のローライコードⅢ型を規範としたものでしょう。上下レンズの周囲はローライコードのR1規格と同じバヨネットが設けられていて、フィルターやフードが共用できますし、フィルムはスタートマーク合わせの自動巻き止めというセミ・オートマット方式でノブ巻き上げです。これもローライコードがⅢ型で実現した機構でした。当時の日本のカメラメーカーは、カメラ先進国のドイツのカメラをよく研究していて、すぐれた機構はすぐに取り入れていたのです。

ファインダー側のレンズはビュー・ニッコール75mmF3.2と撮影レンズ側より明るく、ピント合わせを容易にしているところもローライコード譲りです。特にピントルーペを出した時、ファインダー全体をカバーで覆うようになっていて、脇からの迷光でファインダースクリーンが見にくくなることを防いでいるのは、本家ローライコードよりも優れていると言えるでしょう。

そのほかの特徴としては、最短撮影距離は90cm、シャッターユニットは当時国産最高級のセイコーシャ・ラピッドが採用されています。ボディサイズは、97x142x97mmで重量は約970g。発売時の価格は42,000円と、当時の二眼レフの中ではかなり高価でした。このZ型はニッコールレンズの知名度の効果もあり、市場に好評に迎えられたそうですが、肝心のニッコールレンズの供給量が十分でなく、そのため後にオリンパス光学工業製のズイコー75mmF3.5や昭和光機(後ほどレンズ部門をアイレスが吸収)製のコーラル75mmF3.5を備えた、下位モデルも販売されました。なお、米国ではこのアイレスフレックスがタワー(Tower)ブランドで発売されており、レンズまわりがバヨネットではないなどの違いがありますが、中身は同じものです。

その後1954年4月に、再びニッコールQ75mmF3.5レンズを備えたアイレスフレックス・オートマットが登場しました。Z型を一段と改良したカメラで、巻き上げがクランク式となり、シャッターチャージが巻き上げと同時に行われるセルフコッキング方式となったため、速写性が増して非常に使いやすいカメラになりました。しかしこれがアイレスの最後の6x6cm判二眼レフカメラとなったのです。時代は二眼レフカメラのブームが去り、35mm判小型カメラの時代に急速に変わっていきつつありました。アイレスは1954年に最初の35mm判カメラアイレス35を発売し、その後十数機種の35mm判カメラを世に送りましたが、1960年に倒産してしまいました。

さて私の手元にはZ型とオートマット型の両方がありますが、いずれもとても扱いやすく、なにより驚くほど鮮明な写真が撮れるので大変気に入っています。今回もZ型で写真を撮りましたが、その仕上がりには大満足です。本格的な写真作品制作に使用しても、期待を裏切ることのない魅力的な二眼レフと言えるでしょう。なお本機の整備は、一般的な二眼レフカメラですので、30,000円(税別)です。反射ミラーの腐食の場合には交換(7,000円)、レンズ表面の傷がひどい場合には再研磨・再コーティング(18,000円)といった処置をいたします。どうぞ遠慮なくご相談ください。