今月の一枚

2019年5月 ビトーⅡ

ビトーⅡ 横開きの35mm判スプリングカメラ

ビトーⅡ

右上のレバーの下にコマ数計設定ダイアルがある

ビトーⅡ

前蓋にシャッターボタンとレリーズソケット穴がある

ビトーⅡ

巻き戻しボタンは底部にある

ビトーⅡ

このカメラはフィルムをいれて巻き上げないとシャッターが切れない

ビトーⅡ

スプリングカメラは折りたたむと携帯にとても便利

ビトーⅡ

宝蔵門: F5.6 1/300

ビトーⅡ

わらじ: F8 1/100

ビトーⅡ

浅草寺: F11 1/300

ビトーⅡ

氷の暖簾: F8 1/100

ビトーⅡ

酒處: F5.6 1/50

ビトーⅡ

お面: F8 1/100

ビトーⅡ

紫の風車: F5.6 1/100

 

フォクトレンダー社の創業は1756年、今から250年以上前のことでした。当時神聖ローマ帝国の首都であったオーストリアのウィーンで、24歳だったヨハン・クリストフ・フォクトレンダー2世が創業、当初は測量用コンパスなどを製造していたそうです。2代目のヨハン・フリードリッヒは当時の光学技術の先進国イギリスで修行し、1807年からウィーンで眼鏡レンズや測定器などの光学機器の製造を開始しました。特に大成功をおさめたのはオペラグラスの開発で、社交界を中心にヨーロッパ中に広まり、イギリスではオペラグラスのことを「フォクトレンダー」と呼んでいたそうです。

1839年フランスのダゲールが銀板写真法を発明しついに人類が写真を手にする日が来ましたが、3代目のペーター・ヴィルヘルムはそのわずか2年後の1841年に世界初の全金属製ダゲレオタイプカメラを発売したことは写真史上であまりに有名です。

1848年オーストリアは政情不安となり、ペーターは事業の本拠地をドイツのブラウンシュバイクに移すことを決めました。1852年に移転の許可がおり、それ以後最後までこの地が本拠地となりました。20世紀になるまでは主にカメラ以外の光学機器やレンズを生産していました。

1876年に4代目フリートリッヒ・ヴィルヘルムが事業を継承、1900年頃からいよいよカメラの製造が始められました。最初は他のドイツのカメラメーカの製品と似たようなカメラが多かったのですが、1924年にフリートリッヒが亡くなりフォクトレンダー一族による経営が終焉すると、経営の近代化と共にフォクトレンダー社は多数の独創的なカメラを世に送り出すようになり、戦前の黄金期を迎えました。

第二次世界大戦後、ブラウンシュバイクは戦災の影響が少なかったため、すぐに操業を再開することができました。戦後まもなくは戦前からの中判スプリングカメラなどを製造していましたが、その後35mm判カメラに主力を移し1950年代になるとコンパクトカメラから一眼レフまで幅広い製品を製造、戦後の黄金期となりました。

しかし日本製カメラが世界市場を席巻する1960年代に入ると経営が急速に悪化、1969年に同じドイツのツァイス・イコン社に吸収合併されてしまいました。さらに1972年にはそのツァイス・イコン社もカメラ製造から撤退することなり、フォクトレンダーの商標は同じドイツのローライに譲渡されてしまいました。

フォクトレンダーが35mm判カメラに参入したのはドイツのカメラメーカーとしてはかなり遅いほうで、戦前はビトーI型(Vito Ⅰ)一機種のみでした。蛇腹折りたたみ式の35mm判スプリングカメラでした。戦後は後継機種として今回ご紹介したビトーII(Vito Ⅱ)が登場します。蛇腹沈胴式で携帯時は非常にコンパクト、ピント合わせは目測式ですが、作例写真の通りカラースコパー50mmF3.5は目がつぶれそうにシャープな描写が見事です。このシリーズの最終型はビトーⅡaで、巻き上げがレバー式となってさらに操作性がよくなりました。

独フォクトレンダー社のカメラは大変種類が多いのですが、弊社はその大部分のカメラの修理が可能です。どうぞご相談ください。

★作例写真 大井直樹さん撮影 フィルムはフジ業務用フィルム(ISO100)